2014年1月21日火曜日

一ヶ月半:ブンタウで学んだこと、経験したこと


ブンタウにきてから、一ヶ月半ほどの月日が経ちました。

ベトナムの食事や習慣にも慣れ、残すは、僕が、ここに何を残して帰るのかという段階。ブンタウの人々から与えてもらうばかりではいけないと思っています。

日々、ブンタウ人の優しさに包まれながら僕は生きています。

僕が仕事ばかりしていることを懸念して、ブンタウの学生たちは海まで散歩に連れて行ってくれたりします。

謎の急病で入院したときには、退院お祝いに千羽鶴と牛乳30パックほど買い与えてくれました。もう涙が出るほど嬉しかったです。

ブンタウでは牛乳1パック40円で、30パックとなると1200円でとても高額です。ブンタウでは、一食約50円から80円ですので、1200円は彼らにとってどれだけの負担となったか、、、、、もう心が苦しくなるほど申し訳ない気持ちと、学生たちのためにもっと貢献したいという気持ちになります。



ある日、同じ職場の日本人の方(僕の大学にいる三人の日本人の一人)から聞きました。

「ブンタウは、人の優しさ、食生活、家や建物など、戦後の日本にとても似ている。懐かしい気持ちになりながら、ブンタウに暮らしていますよ。」


その言葉を聞いて、とてもしっくりきました。ベトナム、ブンタウの人たちはお金がないけれども、地域内でお互いを助け合い、お互いの生き方を敬いながら暮らしているから。

ブンタウの小さな屋台やお店で買い物をするとき、度々、お釣りに出せるお札がなかったりします。「あら、また札がなくなったわ」という感じで。

そしたらお店の人はすぐにお隣さんへ行き、「お札ある~?」という感じでお金を補給してきます。最初見たときはびっくりしました。「え?どこいくの?」と。

また、こんなときもありました。

ブンタウでは、服も身体もボロボロの人が、物乞いする機会が度々あります。日本ではあまりそういう光景が見られないのはもちろん、そういう人々に物やお金を渡すことはほとんどないと思います。

でも、ブンタウ人は違いました。彼らは、物乞いをする人びとが来たらよく話をします。僕には話の内容は理解できないのですが、色々事情を聞いているのかもしれません。そして、お金をあげたり、彼らが売っている物を自然に買います。ブンタウに来てブンタウ人と暮らしたことのある人なら、きっとこのような光景を度々目にすると思います。

慈悲というべきか、何というべきか、ブンタウ人は、「この街にいる人たちは立場が違うけれど、お互いの生活を支えあうべきだ」と考えているのかもしれません。外国人である僕の目には、学生たちがその物乞いの人を敬っているように感じました。

そういった生き方をしている彼らといると、私利私欲に満ちた己の心の小ささに目も当てられないばかりです。。


慈悲深き人なるかな。
ブンタウ人の心の豊かさよ。

深くあるべきかな。
己の仁の心よ。

今日もまた、道端で物を売り歩く人たちと仲良く話す学生を思い出しながら、僕はベトナムで生きるのである。